自分が何者かもわからないし決めたくもない不安定な者の日記
fluid [形] 流動的な
2019年,私はオーストラリアにいた.
そこでジェンダーの話になった時に誰かが説明してくれた.
性別は流動的でいいのだと.
私は女の子である,と自認している.
持って生まれた身体も女性のそれであるので,シスの女の子だ.
なぜわざわざ「自認している」という書き方をするのかというと,私は持って生まれた身体の条件や,他人の私に対する扱い方で,女の子であると決めたのではなく,
自分で女の子であるということに対して腑に落ちているということを示したかったから.
では,女の子であるということはどういうことか考えると,
男性にお姫様のように扱ってもらいたいとか,
メイクやお洒落を目一杯楽しみたいとか,
ニコニコして可愛いと言われたいとか,
泣いていたら女々しいではなく,か弱いと思われたいとか
そんなジェンダーバイアスでしかないようなことばかり思い浮かんでしまう.
でも私にとって女の子であるということは
他者との関係によって確立されるものではなく,
もっと内在的で自負するためのことでしかないのだと思う.
例えば,私は23歳であるというのと変わらない.
それによって周りの人が感じる価値とか期待とかは関係なく,
私が生まれてきてから23年経っていてその時の流れを感じているというのにすぎないように,
私は自分が女の子だと感じている.
それ以下でもそれ以外でもない.
でも性別は流動的なものだから,
今は女の子であると私は思っているけど
いつか私は女性であると思うかもしれないし,女の人であると思うかもしれないし,
はたまた全く異なる性別で自認するかもしれない.
それはそれでいいと思う.
今回は私の性別について書いてみた.
私は私の中で不確定な要素が多すぎて,私は自分をどの枠に収めていいかわからなくなることが多々ある.
でも誰かに理解されるために簡単な言葉の枠に分類して自分がどうあるべきか考えているとまるで自分が自分で無くなってしまうような気がして怖い.
同時にとてもつまらない人間になっていくことが感じられる.
男性を悦ばせる仕事をしていた時,私は自分の心がポキポキと折れていく音を聞いた.
今,自分がつまらなくなっていく,私の心がミュートされていく音を感じる.
確か,映画『アメリ』の冒頭で登場人物の紹介をする時に
彼らが好きなもの・嫌いなものを挙げていくのだが
ただありきたりな,例えば趣味は登山とか分かりやすいものではなく
彼らの心が何を感じた時にどう動くのかが感じられるような説明をするのだ.
私はその演出を見てとても豊かだと感じた.
このブログはそんなブログにしたい.
私の心がどう動くのかを単純なわかりやすい言葉に置き換えるのではなく
的確に感じられるような言葉を尽くしたい.